ろさたそ
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世界に対して文句があるなら、子供なんて作るな
2008-01-10 Thu 23:43
との記述。

「羊をめぐる冒険」の中での一コマ。



これって色々な意味で今自分が「子供を作る」ってことに対してのスタンスと同じだなと。




まずは、一つ目の意味で。


子供を安心して送り出せる世界を将来にわたって確約できない、という意味。

確約する必要はないか。

「可能性すらないように思える」って言った方が正しいかな。

「環境問題」とか「資源の枯渇」とか「治安の悪化」とかそういう生活に直結するような問題とは少し違う。

各々の構成要素がその集合体の本質に興味を持たなくなって、
従属的になっている世界には本質的な幸福が存在しえないんじゃないかってこと。

言い換えると、世界は嘲笑で飽和してる。


誰だって、可愛い我が子を嘲笑で飽和している世界に投げ込みたくはない。

こんな風に書くとひどく厭世的だけど、そうじゃない。

僕自信はそういう世界で生きて行くのは、すごく楽しい。
(勿論それに迎合するという意味ではなく)

多くの構成要素に集合体の舵を取る意識がないことは同時に、
数少ない(比率が少ないと言うべきか)それを持つ者にとっては上昇できるチャンスが多いことを意味するからね。


本来的には、そうやって上昇した数少ない構成要素が、
他の構成要素を啓蒙して本質的な幸福のある世界を作れば良い。


でも、それは有り得ない。
なぜなら完成と終焉は同義だから。


おそらく人間は本能的に終焉を回避するんじゃないかな。




二つ目の意味。

それは、戦う際に足枷になるってこと。


戦うだなんてまた随分とたいそうなアナロジーだけれども。


別に何らかの体制と戦う場合に、
家族がいたら圧力をかけられてどうこうっていうような具体的な問題じゃない。


そもそも、ある体制に圧力をかけようと思わせるほどのバトルフィールドに上がった時点で、
その戦いの勝利を半分手にしているようなものだしね。


もっともっと、内なる、というかスケールの小さな問題。


「守るべきものがある」という意識、というか事実。


これによって、人間はある段階までの負荷を跳ね返せるようになる。

でも、それ以上の負荷領域に入ると一気にその事実が闘争心を萎縮させる。


デフォルトリスクをテークできなくなる、リターンがどんなに魅力的でも。

元本保証という言葉を追い求めるようになる。経済的な話に限らず。


だから僕は戦える人間しか家族にはしない。

精神的にも、能力的にもね。


何で武装するかは人それぞれだけど。

ビジネスのセンスかもしれないし、法律かもしれないし、医療技術かもしれないし、芸術的素養かもしれないし、資本そのものかもしれない。


そこに思想が随伴することは必須だけど、それ以外に武器選びの制限はない。

高度に洗練させた思想はそれ自身で武器にもなり得るしね。


そういう武装をした家族は、「守るべきもの」ではなく、「共に戦うもの」だからそれは大歓迎。
(あくまで、戦うというアナロジーにこだわれば)


だから、どう頑張っても一定期間無防備で武装できない時間を甘受すべき「子供」はやはり今のところ受入れられない。



ここまで書いたけど、別に子供を産むことを否定しているわけじゃない。

どんな解釈をしたって、本質的に子供を産み育てることは尊い。それも最も。



ただ、尊いことと、僕のしたいことは違うっていう話。
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